メッセージのご紹介

皆さまからお寄せ頂いたメッセージの一部をご紹介

姫路市/男性
応募曲/アーティスト ザ・カーナビーツ/好きさ好きさ好きさ
メッセージ 大学に合格し初めて故郷を離れて下宿生活を始めた昭和42年、その年に爆発的に流行り数年で衰退したGS。公演で熱狂的女性ファンが舞台に押し寄せるのを体を張って押しとどめるアルバイトを通してその存在を実感した。心地よいリズム感あふれる歌声と斬新で奇抜な服装を個性あふれる同世代のいろんなグループに共感した思いが今も懐かしい。
岸和田市/女性
応募曲/アーティスト ブルー・シャトウ/ジャッキー吉川とブルーコメッツ
メッセージ 当時は、ブル・コメ・ファンでした。メンバーの中でも、亡くなられた井上忠夫さんの大ファンでしたネ。かっこ良かったです。
岸和田市/女性
応募曲/アーティスト 真赤な太陽/美空ひばり
メッセージ 美空ひばりさんは、大ファンでもないのですがとても上手な歌手でしたので、ただただ聞き入っておりました。最近孫の保育所で、園児たちが「真赤な太陽」を鼓笛隊演奏をしたのです。凄く懐かしく楽しかったです。
広島市佐伯区/男性
応募曲/アーティスト 友よ/岡林信康
メッセージ 私の成人式は、東大の安田講堂で迎えました。 区役所のホールには行かず白ヘルとカシのゲバ棒をもって、講堂内で、なりをひそめていました。 時々、歌が唄われました。「頑張ろう」「友よ」「山谷ブルース」「私たちの望むものは」 その中で「夜明けは近い」「氷の炎をもやせ」と叫んだ「友よ」の歌が大好きでした。 翌日、機動隊が強行突入するという話があり、夕方頃安田講堂を出ました。 私の所属していたのは、「べ平連」でした。 20歳の素晴らしい成人式でした。
西宮市/男性/67才
応募曲/アーティスト 赤いハンカチ/石原裕次郎
メッセージ 念願の京都の大学に合格。やっと学生生活にも慣れた二回生。二十歳の時に、この歌をよく聴きました。当時私にも同じ大学の意中の彼女がいて、よく京都御所でデートを重ねました。芝生に寝ころび流れる雲を眺めながら、彼女と将来のことをあれこれと話し合ったものです。その彼女とは卒業と同じく別れてしまいました。その後、風の便りに元気とのしらせもありました。あれからもう半世紀近く再会は夢なのでしょうか。
尼崎市/男性
応募曲/アーティスト 俺はやるんだこの街で/梶光夫
メッセージ 18才で就職し、30年以上過ぎた今でも、生々しく残る私の一曲です。時代は、目まぐるしく急変し、歌詞にみられるような風景もいつしか消えてしまっても、青春の思い出と共に脳裏に生々しい。汗にまみれても、煙に巻かれても、夢にあふれていた。遠く南の島で生まれ育った私には、全てが新鮮だった。転勤で離れる時があっても、やはり帰ってくる。第2の故郷尼崎が私の永住の町である。全ては、この歌が希望と勇気を与えてくれた原点だから…。
大阪市城東区/男性/61才
応募曲/アーティスト 17才/南沙織
メッセージ 友達と3人で聞いた南沙織の17才。エキゾチックな顔立ちと長い黒髪が印象的でした。
尼崎市 /男性/60才
応募曲/アーティスト 私たちの望むものは/岡林信康
メッセージ 当時神様といわれた岡林信康の名曲です。高度成長に反し人間の迷いや葛藤を表現した曲で私も当時の癒しになったと思っております。
和泉市 /女性/57才
応募曲/アーティスト 太陽がくれた季節/青い三角定規
メッセージ 学生の頃、アルバイトしてもらったお金で、青い三角定規というグループの歌う「太陽がくれた季節」のレコードと青色のジャンプ傘を買いました。でも、傘を買った次の日バスに置き忘れ戻ってきませんでした。初めて働いてもらったお金で買った二つの品ですが、今は、どちらもありません。しかし歌はどんな時でも口ずさめます。苦い思い出もちょっぴり懐かしみながら・・・
和歌山市 /女性/59才
応募曲/アーティスト 22才の別れ/風
メッセージ 文通が流行っていた 小学5年生頃鹿児島の彼と ペンフレンドになりました。年月が過ぎ 思春期 大人へと成長して 手紙の内容もいつしか ラブレターにかわり、お互いに一番身近な異性として 意識しました。けれど彼は鹿児島 そして航海に出ると半年は帰らない船員でした。私には彼に会いに行く勇気がなく別れる時がきました。「22才の別れ」この唄の最後が心に響きます。「あなたは あなたのままで 変わらずに・・・」私も願います。あのころのステキなあなたでいて下さい。
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