メッセージのご紹介

皆さまからお寄せ頂いたメッセージの一部をご紹介

奈良県桜井市/女性
応募曲/アーティスト 神田川/かぐや姫
メッセージ 20才の頃音大の学生でクラシックばかり聞こえるレッスン室で友達が演奏したのが神田川です。 恋をする事も無くひたすら勉強して歌っていた私にとって神田川の二人はとても大人の様に感じていました。 今では娘が20才あの頃の私よりずい分しっかりしています。 学んだ音楽も専門的に出来ずボランティアで老人ホーム等に歌のお届けに行っています。 亡き父も大ファンで昨年の八月コンサートに行かせて頂きました。 A.Jの皆様に演奏して頂ければ何より嬉しいです。
大阪市住之江区/女性
応募曲/アーティスト 今日でお別れ/菅原洋一
メッセージ この曲を聴くとしみじみと失恋の思い出がよぎります。 私の方から別れを言ったあの切ない思いが、未だ 私の心から離れていないのでしょうか・・・・? 40年経ているのに・・・・! 若い時の悲しく切ない、それでいて大事な大切な思い出がこの曲、 とりわけ菅原洋一氏のソフトな歌口に私の琴線がふるえます。 ちょっとブルーなまさしく青春の思い出の歌の一曲です♪
大阪市淀川区/男性
応募曲/アーティスト 哀愁波止場/美空ひばり
メッセージ 私の二十歳の頃に現天皇のご成婚があり、私もあやかりたく結婚しました。 世の中「ミッチーブーム」で明るく和やかな日々の毎日でしたが、 心に残る歌は美空ひばりさんの「哀愁波止場」です。 好きな人を思う淋しい歌ですが、それから五十年、今この歌を聴くと 元気で居られる私たちの幸せを強く感じています。
大阪市淀川区/女性
応募曲/アーティスト あなた/小坂明子
メッセージ 結婚し、子供も小学3年生になり、生活も落ち着き、小さいながらも 中古のマイホームも手に入り、これからって思った時に、 主人の転勤が決まり、色々家族会議をし、その結果、 主人の単身赴任という形となりました。 歌詞とそのままの情景が重なって・・・・
今はお互いに別の生き方で歩んでいます。 今も口ずさむ歌です!!
大阪府八尾市/女性
応募曲/アーティスト 心の旅/チューリップ
メッセージ 私の長男が大学生の頃はフォークソングが全盛の時でした。 残念ながら11年前のさくらの頃、青年のまま急逝致しましたが、 生存していましたら“わいず最年少”55才なんだと思い出に応募しました。 「だから今夜だけは・・・君を抱いていたい。明日の今頃は僕は汽車の中・・・・」 毎日歌を聴いていたので、フォークを知らない私も、すっかり覚えてしまいました。 「心の旅」「なごり雪」は特別で、テレビでは必ずいっしょに歌っています。 母子二代で応募致しました。
大阪市北区/女性
応募曲/アーティスト 瀬戸の花嫁/小柳ルミ子
メッセージ 私と彼女は同い年。ルミ子さんのすべての曲と共に青春を送りました。 その中でも代表曲は「瀬戸の花嫁」。 当時は何かにつけ良く口ずさんだ曲です。 懐かしい曲をジャズで聴いてみたいものです。 よろしくお願いします。
大阪市淀川区/女性
応募曲/アーティスト 花嫁/はしだのりひことクライマックス
メッセージ 「自分、この歌、歌える?」と聞いてくる男の人が・・・ビ・ビ・ビと感じる音が心にひびいて「ちょっとだけなら」と返事したのが運命の糸でした。趣味でバンドを組み、その男の人は、ドラムを担当。そして私がボーカル。半年後にゴールインとなりました。しかし主人となった男の人は、単身赴任となり、やがて私達は別々の人生を・・・・今はメル友となっています。この歌に感謝!!
神戸市垂水区/女性
応募曲/アーティスト りんご追分/美空ひばり
メッセージ 戦後の日本を元気づけてくれた美空ひばりさんの歌はどれも好き。中でも、”チャンチャチャンチャン、チャンチャチャン、りんご〜”とノリのいい前奏(イントロ)で入るひばりちゃんの太くて低い大人っぽい声の魅力は迫力があった。小学校5年の頃、神戸の新開地の松竹座での憧れのひばりちゃんの「実演」に行けた。3階席からは遥か下の舞台のひばりちゃんの姿と声が、57年後の今も、私の目と耳に焼きついている。
京都府宇治田原町/男性
応募曲/アーティスト 山小舎の灯/近江俊郎
メッセージ 山へのあこがれを知りそめた頃、そして後年信州への旅をくり返すことになるキッカケになった歌です。今春も青春18キップで途中下車をくり返しながら大糸線の北アルプス、パノラマビューを楽しみました。豊科駅附近からの常念岳、大町附近から鹿島槍、白馬駅附近から五竜、唐松、八方尾根、白馬。端正な山の姿に思わず涙ぐみ、この歌をくちずさんでいました。
眼つむれば 若き我あり 春の宵(虚子)デス。
高松市/男性
応募曲/アーティスト 井上陽水/心もよう
メッセージ 昭和49年の11月に最愛の母を亡くして、末っ子三男坊で未だ二十歳だった私は傷心の日々を過ごしていました。その冬にヒットした陽水の「心もよう」は淋しい私の心を代弁してくれているようで、とても共感したのを憶えています。底冷えのする京都の学生アパートで何回も何回もレコードを聴いたものでした。今でも「心もよう」を聴くと懐しいあの頃の情景がありありと思い出されます。
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